新たな息吹~地域の可能性を拓く人々(3)~のらくら農場・萩原紀行さん<2025・12・19>
佐久穂町に根付いた有機農業の拠点
長野県南佐久郡佐久穂町の小さな集落にある「のらくら農場」は、約10ヘクタールの農地でケールや春菊、ピーマンなど約60品目の有機野菜を栽培する農場だ。
営むのは千葉県出身の萩原紀行さん。1998年に就農し、化学合成農薬や化学肥料を使わない有機栽培にこだわり、科学的土壌分析に基づく「BLOF理論」を導入。ミネラル供給や微生物活用、太陽熱養生処理を通じて栄養価の高い野菜を育てている。2019年には「オーガニック・エコフェスタ」栄養価コンテストで3部門最優秀賞、総合グランプリを受賞するなど、その技術力は高く評価されている。
販売先は全国90社に及び、ショップ、卸業者、生活協同組合、通販など多岐にわたる。多品種少量生産を行う農家の多くは零細で、安定供給体制の構築は難しいが、同農場は独自の仕組みで多店舗展開型ショップにも対応できる希少な存在となっている。
誠実が切り開いた道
農場名には「のらりくらり、野良で暮らそう」という萩原さんの人生観が込められている。効率や成果を追うのではなく、自然のリズムに寄り添い、誠実に働くことを重視している。
農場には「怒ってはいけない」「早くやれと言わない」というユニークなルールがあり、冷静な対話を重視する温かい文化が根付いている。一方で「標高1000mで生産のプロ集団が作る野菜」を掲げ、スタッフ全員が高い技術と責任感を共有し、効率的な作業体制を築いている。
萩原さんが農業を志したきっかけは、妻の「農業をやりたい」という思いだった。新卒で入社した会社で営業職を経験する中で「数字だけを追う人生」に疑問を抱き「百姓になる手引き」という一冊の本を通じて、埼玉県比企郡小川町の有機農業家・金子美登氏の存在を知り、弟子入りを果たした。
独立後は試行錯誤を重ね、失敗続きの2年間を経て、伊那市の(株)ジャパンバイオファーム代表・小祝政明氏との出会いで科学的手法を学び、技術を磨いた。佐久穂町での農地確保も、地域の理解と支援によって実現した。
人をつくり、地域をつくる
萩原さんの営業方針は「正直であれ」。価格交渉では駆け引きをせず、原価などの実情を率直に伝えることで信頼関係を築いている。
理念や計画は掲げず、現場の実践を重視するが、「いい仕事をしよう」という合言葉を皆で共有している。これは「売り手よし、買い手よし、世間よし」という近江商人の哲学にも通じるものだ。
同農場では、農業に関心を持つ人材が集い、育ち、巣立つ仕組みを整備している。これまでに全国に12名の農業者を輩出し、現在も15名の正社員が通年で働いている。
採用時には7か月の試用期間を設け、仕事内容や厳しさを包み隠さず伝える誠実な姿勢を徹底しているため、ミスマッチも少ない。期間スタッフも多様で、農業体験をきっかけに当地に移住する人も少なくない。こうした取り組みは、地域に人を呼び込み、定着を促す仕組みとして佐久穂町にとって貴重な地域振興となっている。
萩原さんは地域への恩返しとして、「土壌分析研究会」「堆肥共同購入」「共同出荷グループ」などを立ち上げ、地域農業の課題解決に向けた協働の場をつくってきた。特に共同出荷グループでは5軒の農家が参加し、約3億円の売上を達成。最近は町の要請で「機能性堆肥」を開発し、土壌改良に取り組んでいる。悪玉菌の抑制やビタミン補給、団粒化などの効果が期待され、地域農業の底上げにつながる可能性が見えてきている。
「自然科学に寄り添う栽培」という醍醐味
萩原さんは、土壌に含まれる菌や鉱物が作物に与える影響を科学的に探求し続けている。顧客から「カブがおいしかった」と言われれば、その理由を土壌の構成要素まで掘り下げる。それが「楽しくて仕方がない」仕事の核心であり、有機農業の醍醐味だ。顧客から「自然科学の手触りが食卓の向こう側にありますね」と言われたとき、萩原さんは「自分が目指してきたのはこれだ」と確信したという。
人手不足や担い手不足が叫ばれる中、「のらくら農場」のような存在は、地方の未来を照らす灯だ。農業を通じて人が集まり、暮らしが生まれ、地域が活性化する。その中心にあるのは、「いい仕事をしよう」という言葉に込められた萩原さんの揺るぎない経営理念である。
(資料)「新たな息吹~地域の可能性を拓く人々『有機農業で地域と未来を耕す~
のらくら農場萩原紀行さん』」「経済月報」(2025年12月号)
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