災害は忘れたころに・・・先人が遺した8月1日の墓参りというチエ<2024・08・09>

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最終更新日: 2024年8月9日

8月1日は「戌の満水」供養の墓参り

 8月1日に実家がある佐久穂町にお墓参りに行ってきた。

 8月1日のお墓参り?と不思議に思われる方も多いかもしれないが、佐久地域では8月1日のお墓参りが風習となっている。その日を休みとしている企業もあるぐらいだ。

 この8月1日のお墓参りの意味だが、約280年前に起こった「戌の満水(いぬのまんすい)」による犠牲者を供養するものだ。

 「戌の満水」というのは、江戸時代にあたる寛保2年8月1日(西暦1742年8月30日)に千曲川流域で発生した歴史的な大洪水だ。

 寛保2年が壬戌(みずのえいぬ)の年にあたるため、被害の大きかった千曲川流域では「戌の満水」と呼んでいる。

戌の満水での犠牲者はおよそ3,000人

 「戌の満水」では、千曲川流域でおよそ3,000人の犠牲者のほか、広範囲にわたり田畑を押し流すなど未曾有の被害を及ぼした。

 「当時の人口は、現在の4分の1程度だったことを考えると、今なら1万人を超える被害ではないか」と名古屋大学の福和伸夫名誉教授が<千曲川が氾濫した戌の満水から280年、気象災害に備える>という記事に書かれている。2011年に発生した東日本大震災での犠牲者1万5,900人と比較しても、いかに甚大な災害であったかがうかがわれる。

 特に被害が大きかったのが佐久地域で、我が故郷佐久穂町では、集落全体が流出してしまうなど大きな被害に見舞われた。小諸市でも、浅間山の前掛山付近の山が崩れ小諸城周辺で天然ダムを形成し、それが決壊して発生した土石流が中心部に流れ込み、多くの家屋を倒壊し、押し流したようだ。

 千曲川・犀川に沿って氾濫被害は広く、東御市、上田市、千曲市、長野市、小布施町、中野市まで多くの命や家屋、田畑が失われた。災害にあった各地には、慰霊碑や水位標などが残っている。

千曲川を氾濫させた平成元年台風19号災害

 千曲川とこれらの自治体の名前を見ると、思い出されるのが平成元年に起こった台風19号災害だ。

 2019(令和元)年10月12日、台風19号により千曲川やその支流が氾濫し、佐久穂町、佐久市、東御市、上田市、千曲市、長野市などで被害が出た。

 佐久穂町では、国道が崩れ10件程の家が倒壊した。長野市長沼地区の被害は甚大で堤防が決壊し、4,000棟余りの住宅が浸水した。

先人が遺したお墓参りという防災のチエ

 「天災は忘れた頃にやってくる」とは、よく言われる戒めであるが、これは科学者で随筆家の寺田寅彦による言葉だと言われている。

 科学的見地から言えば、100年前の地震や東日本大震災のような1,000年前の大津波も侮れないという主張になる。ところが、一般人にしてみれば、そんな昔の事は覚えていられる筈がない。

 寺田は「人間がもう少し過去の記録を忘れないように努力するより外はないであろう」と随筆に書いている。

 我々は「天災は忘れた頃にやってくる」という戒めを常に念頭に置き、災害対策を怠ってはならないのだと思う。

 しかし、寺田の懸念のとおり、この戒めでさえも時間と共に忘れてしまっている。

 そのため災害の事実を心に刻み、その時に被害に遭われた人を供養し続ける「お墓参り」という風習は優れた先人のチエだ。災害を忘れることなく、防御策を講ずることができる事を考えるなら、少々大仰だが先人が遺した無形遺産とも言えるなのではないだろうか。

 これからも8月1日には、しっかりとお墓の前で手を合わせて、防災の備えを万全にしていきたい。

(初出)SBCラジオ あさまるコラム 2024.8.9放送

 

 

 

 

 

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 小澤 吉則(おざわ よしのり) 

 

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