コロナ禍でこそ楽観が望ましい理由(わけ)<2021・03・15>
新型コロナウイルスに対する悲観論が依然多い
新型コロナという未知のウイルスに遭遇し、将来に対する悲観的な見方を多く耳にする。
「新種のウイルスは今後も頻繁に発生し、世の中はどんどん悪くなっていくのではないか」という不安だ。
このような不安もある程度は仕方ないかもしれない。人はもともと将来を悲観的に考える傾向がある。
特に長野県などはその昔、楽観的に構えていたら凍死したり、餓死したりするかもしれない厳しい環境にあった。悲観はDNAに刻み込まれた習い性なのかもしれない。
さらに、ニュースは楽しいテーマより悪くてショッキングなものを多く報道する傾向にある。
「コロナで陽性であっても、平凡な生活は何一つ変わりません」ではニュースにはならない。
世界は年を重ねるごとに少しずつ良くなっている
しかし、過去、人類はペスト、天然痘、コレラなど、感染症に勝利してきている。そして、これからも勝利していくに違いない。
100年ぐらいの単位で歴史を見ると、人類社会は多くの問題を解決し良くなってきている。
ベストセラーとなった「ファクトフルネス」(ハンス・ロスリングほか著)では、時を重ねるごとに少しずつ、世界は良くなっている事実が豊富なデータで示されている。
「自然災害での毎年の死亡者は過去100年で半分以下に減っている」、「世界で極度の貧困にある人の割合も過去20年間で半分になっている」などの事実だ。ほかにも「世界の平均寿命はおよそ70歳」であるというし、「電気が使える人は、世界人口の80%」だという。
俗耳に入り易い「悪化し続ける世界」などという幻想より、世界は相当に豊かであり、年を経る毎に良くなっている。
郷土長野県の進歩も著しい
長野県も同様だ。70年程前には、この地で食べていくことが出来ないため、全国で最も多くの人を満州に送った歴史がある。それが今では都道府県別GDPにあたる「県内総生産」では全国18位(2017年度)にまで成長している。
女性の平均寿命も1947年には57.61才だったものが、2015年は87.67才とこの70年ほどの間に30歳も伸びて、おまけに全国1位に躍進している。因みに男性も全国2位という幸せな県になっている。
交通面の改善も凄まじい。昭和の時代には、東京までは在来線特急で3時間だったものが、平成での新幹線開通により、長野駅から東京駅までは80分が当たり前となった。リニア中央新幹線が開通すれば、飯田駅から東京駅までも40分が当たり前という時代になる。
このように世界も我が郷土も、年を経る毎に良くなっているというのが現実だ。
過度な悲観的空気は百害あって一利なし
今回の感染症にしても例外ではない。日々、知識や治療方法も蓄積されてきており、死者数も減っている。ピークに一日120人程度出ていた死者数も50人程度に収まっている。
これは三大疾病であるガンの968人、心臓病518人、脳卒中338人などの一日当たりの死者数と比較してみると過剰に怯えるほどの水準ではないこと分かる。
ところが、コロナ感染を恐れるがあまり、各自治体で三大疾病予防のための運動に出てこない高齢者が増えているという声をよく耳にする。「角を矯めて牛を殺す」とまでは言い過ぎかもしれないが、「コロナを矯めて、三大疾病を悪化さす」ことになりかねはしないか憂慮される。
このように過度に悲観的な空気が広く蔓延することは、百害あって一利なしだ。
そもそもそ悲観的に生きていては辛いだけで、「頑張ろう」という気持ちにはなれまい。
ヘレン・ケラーの言葉にあるように「未来を開く鍵は楽観主義」だと思っている。
(資料)読売新聞2021年3月6日朝刊「しなの草子」(小澤吉則)に加筆修正
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