コロナ感染者を慈しみ合える寛容の世の中に~必要な多様な情報共有~<2020・08・13>

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最終更新日: 2020年8月13日

 

コロナに感染したらオシマイという風潮

   新型コロナウイルスの感染者数を巡る報道を毎日のように目にする。

   特に最近増加が目立つ東京都での感染者報道は、トップニュースとして報じられることが多い。8月10日には、「東京都は新たに197人が新型コロナウイルスに感染していることを確認。これで、これまでに都内で感染が確認された人は1万6064人になる」と報じられている。

  長野県でも同日「安曇野市の40代の会社員の女性の感染が新たに確認され、県内の感染者は合わせて132人になった」という報道があった。

  最近は、新型コロナウイルスの感染者数を聞いてから1日が始まる、そんな日常になっている。

  そんな報道を毎日シャワーのように浴び続けたせいだろうか、「感染したらオシマイだ!」という風潮が世間にまん延しまっているように感じる。7月20日に小諸市で起こった、感染者の職場の窓ガラスが割れるという事件はそれを象徴する出来事だろう。

  感染者は許せない、という行動の現れのように思う。
 

感染者は増えているが死者は非常に少ない

 感染が始まった2月頃であれば、そうした感染者の発生を中心とした情報に注目しているだけでも良かったかもしれない。

  しかし、半年が経った今、分かってきた事は、日本は欧米諸国に比べ死者が極端に少ないということだ(下図)。

  人口100万人当たりの死者数(8月8日時点)を見ると、米国490人、英国685人、イタリア582人、フランス464人に対し、日本は8人だ。

  7月27日には、WTO関係者の「感染者の数ではなく、死者を少なくすることが重要である」とのメッセージが報道されている。

  「世界保健機関(WHO)のテドロス事務局長は日本の状況について、13日の週に感染者が約3,100人だったが死者は3人、20日からの週は感染者が4,740人と増えたが、死者は11人だったと指摘。『感染者の数ではなく、どれだけの命を救うことができたかが最も重要だ』と強調し、オーストラリアと並んで日本の対応を『模範』と評価した」とジュネーブ共同が伝えている(因みにオーストラリアの人口100万人当たりの死者数は10.9人だ)。

  テドロス事務局長の言葉の通り、疾病で最も重要なことは死者を少なくすることだと思う。

  そうであるなら、日本でこれだけ死者が少ない中、感染者増加の情報ばかりに一喜一憂することはとても不自然な方向にあるように思う。
 

感染しても治癒が可能で、他人への感染も限定的である可能性  

  死者数が少ない背景には、治る率が高いという事実もある。

  既に感染者の内、全国では約7割が「退院または療養解除の者」となっている(下図)。図示はしないが、長野県では8割だ。

  ワクチンや特効薬のない中でも重症化した人を治癒し、死亡させない体制、能力を日本の医療機関が持っているということではないか。

  また、京都大学の山中伸弥教授は、他人に感染させる感染者の割合が少ない可能性について以下のように言及している。

  「正しいかもしれないが、さらなる証拠(エビデンス)が必要な情報」として、「感染しても80%の人は、他人に感染させない」(「山中伸弥による新型コロナウイルス情報発信」

 

感染者数以外の情報を広く共有し寛容性の回復を 

 これらを考え合わせると、「感染をしたらオシマイ」ということではないことが分かる。感染をしても日本の持つ治療能力が高いため、死者は少ない。また、感染をしても多くの人は、他人に感染させない可能性も見えてきている。

  現状、これだけ感染が広がってくれば、誰でも感染をする可能性はあろう。その際に、感染について責め立てるような世の中ではなく、心配しあい、慈しみ合うのが、病気になってしまった人へのまともな態度だろう。

  こうした寛容性の世の中を取り戻すためにも、感染者数以外の情報が広く共有される必要がある。

 感染者を非難する非寛容な世の中では、人々の行動は益々委縮し、社会経済活動の正常化は程遠い。

  そして、こうした風潮に押され、再び経済活動を大きく停止するような政策が講じられれば、県内の歴史ある旅館も、馴染みのレストランも街並みも全部潰れ、経済は壊れてしまうかもしれない。

  その先には、経済恐慌が大きな口を開けて待っているようにさえ思えてならない。
 

 

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