「経営には答えがない」から始まった挑戦
「経営には答えがない」。
この言葉は、信州大学経済学部時代に瀬畑さんが恩師から教わったものであり、その後のキャリアを貫く原点となった。正解を覚えて答える勉強に物足りなさを感じていた瀬畑さんにとって、この考え方は大きな衝撃だった。
1994年、就職氷河期の中でドイツ系化学メーカーBASFの日本法人に入社した。しかし、入社後は順風満帆ではなかった。任された既存顧客管理に物足りなさを感じ、自ら営業活動を始めたものの、独断的な判断によって大口取引を失うという大きな失敗を経験する。
辞職も覚悟したが、そこで諦めなかった。失敗を糧に営業に全力で取り組み、失った以上の成果を生み出したのである。
国内では必ずしも高い評価を得られなかった一方で、結果を重視するドイツ本社はその実績を評価し、本社勤務の道が開かれた。
世界で磨かれた再建力
ドイツ本社では、世界戦略商品の責任者として事業運営を担った。特に印象的なのは、長年赤字が続いていた事業の撤退を指揮した経験である。既成概念や業界の慣習に縛られなかったことが、大胆な意思決定につながったという。
その後、香港でアジア地域事業を統括し、さらに日本法人の経営トップを務めるなど、グローバルな舞台で活躍した。成果主義の厳しい環境の中で数多くの事業再建を手掛け、常に結果を求められる立場に身を置いた。
こうした経験によって培われたのは、数字を見る力だけではない。問題の本質を見抜き、人を動かし、組織を変える力であった。
人が変われば組織は変わる
瀬畑さんの経営観を象徴するのが、中国吉林省の合弁会社再建である。
赴任当初、その会社は8年間赤字が続いていた。再建策を説明するために準備したプレゼン資料を前にしたものの、険しい社員の表情を見た瞬間、それでは伝わらないと感じたという。そこで瀬畑さんは、赤字を責めるのではなく、社員が長年守り続けてきた「品質クレームゼロ」「人身事故ゼロ」という成果を称賛した。
その後、物流や価格体系などの改善を地道に進めた結果、遂に単月黒字化を達成した。即座に自ら現地へ赴き社員全員に知らせ、喜びを分かち合った。
初めて自分たちの努力を認められた社員たちは、大きく変わった。指示を待つのではなく、自ら改善に取り組み始めたのである。
結果として、この工場は高収益企業へと生まれ変わった。
瀬畑さんは、「人は存在意義が実感できた時に本当の力を発揮する」と振り返る。再建の本質は制度や仕組みだけではなく、人の心に火をつけることにある。
信州が与えてくれた人生の転機
一方で、世界を舞台に働く日々は大きな代償も伴った。
長年にわたり重圧の中で走り続けた結果、過度なストレスから就寝時の強烈な噛みしめで「奥歯が真っ二つに割れる」という出来事を経験する。健康診断でも再検査が続き、心身ともに限界を迎えていた。
そんな時、瀬畑さんを支えたのが信州だった。
東京で働いていた頃も、週末になると車で信州へ向かい、美ヶ原や北アルプスを眺めながら心身を整えていたという。澄んだ空気や雄大な自然に触れることで、自分自身を取り戻すことができた。
やがて人生の節目を意識し始めた瀬畑さんは、2018年に会社を退職。学生時代を過ごし、家族との思い出も深い信州へ移住し、新たな人生をスタートさせた。
「何のために」を問い続ける経営支援
現在は松本地域を中心に、中小企業支援や人材育成に携わっている。だが、自身をコンサルタントとは呼ばない。「経営メンター」という立場を選んでいる。
その理由は、若い頃に出会った「経営には答えがない」という考え方にある。
経営者から「売上を伸ばしたい」「社員が動かない」と相談を受けても、すぐに解決策を示すことはしない。むしろ「なぜ売上を伸ばしたいのか」「なぜ社員は自発的でなければならないのか」と問い返す。
対話を重ねる中で、経営者自身も気付いていなかった本質的な課題が見えてくることが少なくないという。
瀬畑さんが目指しているのは、人に答えを与えることではなく、自ら考え、自ら答えを見いだせる「場」をつくることである。
社会や経営環境の先行きが見通しにくい時代だからこそ重要なのは、「何のために生きるのか」「何のために事業を営むのか」という原点に立ち返ることなのだろう。
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(資料)「新たな息吹~地域の可能性を拓く人々『グローバル企業のトップから地域企業の経営メンターへ~(同)ReConnect 瀬畑一茂さん』」「経済月報」(2026年8月号)