逆境の時代、課題を強みに<2015.06.03>

 地域を元気にするためには、その土地の産業や伝統、文化、自然などの地域資源を掘り起こし、磨き上げ、情報発信していくことが必要です。ところが最近では、地域に活力を与えてくれた工場はなくなり、伝統を引き継ぐ若者も減る一方です。町や村では耕作放棄地ばかりが増え、美しい森林もシカやイノシシに荒らされています。誇るべき資源より課題が勝っている、との声を多く聞きます。
 困難な課題を抱えた町村は県内には昔から多かったわけですが、それを逆手に強みに変えてきたところも少なくありません。
 例えば、以前このコラムでも紹介した南佐久郡の川上村。稲作もできない高冷地という厳しい気候条件がかえってレタス栽培には適しており、村全体が一つの目標に向かって走り続けた結果、今や全国一位のレタス産地となっています。
 下伊那郡泰阜村の介護への取り組みもそうです。貧しい村が高齢者への介護対策として始めた在宅介護の推進が、福祉を産業と言えるまでに成長させました。現在では誰でもが安心して暮らせる村として、若者の移住・定住に力を入れています。
 先月訪れた大鹿村も多くの課題を強みに変えてきた村です。柳島貞康村長に話を伺いました。同村は、松川町から山沿いの一本道を何本ものトンネルを抜け、ようやくたどり着くような場所にあります。村民も現在約1千100人と年々減少しています。「時々、大鹿村じゃなくて多鹿村と呼ばれることもありますよ」と柳島村長が言うように、人より鹿の数の方が多く、その鹿が生息する山林は村の面積の98%を占めています。
 さらに、リーマン・ショックのあおりを受けて、唯一あった機械関連の工場も撤退してしまいました。「産業のない、過疎でへき地の村」ということになります。
 ところが大鹿村では、村民の約2割が移住者によって占めてられているというユニークな特徴があります。昭和40年代から、とのことです。魅力がなければ外から人が来るはずはありません。
魅力は、このへき地で山ばかり、という点にあるようです。簡単には行けない本格的な山の中で、自然農法で作った野菜に価値を見いだす都会の人は多くいます。都会から販路を持った若者が移り住んで耕作放棄地で野菜を作っています。陶芸、切り絵などの芸術家も活躍しています。
 そして野生鳥獣被害を及ぼしているシカ。これも十数年前から、単なる困りモノではなく、村の事業者が食用として加工、流通させています。今やジビエの普及は県を挙げての取り組みですが、同村では随分前から、困りモノを地域資源として活用していたと言えましょう。
 大鹿村では「日本で最も美しい村」連合を、2005年に北海道美瑛町など7町村と設立しました。2009年に就任した柳島村長は「過疎でへき地の村ではあるが、どこにも負けない大自然が外部から多くの人を呼び込んできた。村民の皆さん、日本で最も美しい村を元気にしていきましょう」と熱いメッセージを発し続けています。
 アメリカに「運命がレモンをくれたら、それでレモネードを作る努力をしよう」という諺があります。「不運からどのようにチャンスを見いだすのか」という意味です。これこそ、人が人たるゆえんと言えるでしょう。現在のような逆境の時代、人にも地域にも、課題を強みに変えていくための「チエ」や発想が求められるのだと思います。

(初出)平成27年6月3日朝日新聞朝刊「けいざい応援通信」『過疎でへき地 そこに魅力』

 

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