仮説と検証の方法(2010.10.12)

大阪地検特捜部事件

 大阪地検特捜部の押収資料改ざん事件では、法の番人の中の番人が自ら法を破っていたということが明るみになり、大きな衝撃が日本列島を走った。この事件から見えてくる「優れた課題解決のための思考方法」が使い方により毒にも薬にもなりうるということをビジネスの視点からも考えてみたい。
 この優れた課題解決のための思考方法とは、「捜査の初めに『ストーリーを作る』という方法」だが、この点について評論家の立花隆氏が10月3日の信濃毎日新聞(発信元 共同通信)に実に的確な論評をしている。

あらゆるサイエンスがストーリーを作ることから始まる

 立花氏は1974年文藝春秋に「田中角栄研究」を発表し、以降ロッキード裁判を皮切りに特捜検察を間近に見て、「ロッキード裁判批判を斬る」など数多くの論文を発表してきた。
「法治国家の根幹揺らぐ」と題されたこの論評では、今回の事件を振り返ったあと「なぜこんなことが起きたのか」と問い、「この事件の一番の背景として、検察の捜査が『初めにストーリーありき』になっていることを挙げる人もいるが、私はそうは思わない」としている。なぜなら「初めに『ストーリーを作る』あるいは『筋を読む』ことは捜査の基本中の基本であり、そこを否定したらそもそも捜査は成り立たない。捜査だけではない。あらゆるサイエンスがストーリーを作ることから始まる」からである。

検証後ストーリーを作り直すことが肝要

 物事の本質に迫るためには、必要な情報を集め、自分が持っている知見と合わせ「こうだ」と思うストーリーを作り、それが合っているか検証するという方法が理に叶っている。すなわち「仮説と検証」による思考方法である。仮説もないまま闇雲に行動していては、非効率極まりない。そして、この場合、いかに本質に近い仮説(ストーリー)を立てられるかということの重要性にもまして、検証としてそのストーリーと現実の間に齟齬が発見されたら、ストーリーを修正するということがより重要となる。このアプローチなくしては、物事の本質に迫ることは不可能だ。
 ところが、今回の事件で検事がとった行動は、ストーリーと現実の間の齟齬を、ストーリーを変えるのではなく現実である証拠を変えることで埋め合わせようとした。これは時に問題となる科学者が実験データを捏造し論文を発表してしまう行動となんら変わるところがなく、薬となるはずのものが猛毒となってしまった。

ビジネスマンである我々は今回の事件を他山の石として

 こうした視点から我々のビジネスを考えた場合、「仮説と検証」による事業活動こそが効率的に成果を生み出していることに気付く。
 例えば、営業をする場合には、「この商品はこうした顧客に売れるかも」「このような提案をすれば契約できるかも」といった仮説を立てる。設定された仮説が正しいかどうかを検証するためには、実際に営業をしてみて検証をする。仮説が間違っていればその商品は売れないため、新しい仮説に基づいた顧客に対し売込みを行ったり、別の提案をするなど再度検証を重ねる。こうしたプロセスが効率的な営業につながり、素早く成果を生み出すことになる。そのため、仮説である見込み客が自社の製品と合わないと検証された場合には、違う顧客にアプローチすべきであろうし、見込み顧客に対し行った提案が契約に至らず不適切だと検証された場合には、その提案は棄却し新たな提案をしなくてはならない。
 すなわち、二つのことが今回の事件からビジネスへの他山の石として見えてくる。
一つは、基本的に仮説と検証のストーリーがない営業では、効率が極めて悪化するということ。仮設を立てずに網羅的に営業をするということは、極論すれば日本人全員が顧客といった具合に、営業マンがいくらいても足りないことになる。
 二つには、仮説と検証の営業をした場合にも、仮説である見込み客やら提案が自社の提供する商品と一致しない場合には、行動を一新して新たな顧客や提案を手掛けなくてはならないということだ。
「良い商品だから売れるはずだ」というロジックは、それが仮説であるということに気付いていないばかりか、行動を改めない点においては、次元は異なるものの、仮説ではなく証拠を変えようした検事となんら変わらない。
 薬となるべき効率的な手法が、仮説を現実とすることで毒と化してしまうのである。

(参考)「大阪地検特捜部事件『法治国家の根幹揺らぐ』」(立花隆)10月3日信濃毎日新聞朝刊(発信元 共同通信)
(2010.10.12)

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