時代の要請としての新産業創出(2009.12.04)

 今ほど新しい産業や事業が求められている時はない。これは不況だからというのは勿論のこと、今般の不況そもそもの原因がそこに行き着くからだ。
 今回のアメリカ発世界不況は、拡大した世界経済の不均衡が瓦解した揚句に起こった。経済というものは貯蓄した分が投資されバランスをとる。世界経済とて同様だ。成熟国に貯まった貯蓄が新興国の開発に向けられるなどの例を考えれば分かり易いだろう。
 ところが、1990年代後半に起こったアジア金融危機は様相を一変させた。外資依存で成長を遂げてきた東アジアの新興国から外資が一斉に引き上げてしまったのである。辛酸をなめた新興国は、逆にお金の出し手へと変貌した。これ以降、世界各国で投資しきれないお金は、ほとんど全てがアメリカに投資されるといういびつな構造が出来上がっていった。その唯一の投資先で住宅バブルが弾けとんだ訳だから、この構造自体が持続不能となった。
 したがって、冷静に振り返ってみるなら、アメリカ消費者の浪費の巻き添えとなった日本という被害者意識は間違っているばかりか、何者をも生み出さないことに気付く。確かに、アメリカ消費者の過剰消費自体は大きな問題だ。しかし、巨額の貯蓄に対し、投資すべき新たな産業を興しえない日本の構造の方がよほど問題なのである。
 そして、この日本経済を形作っている7割の地方経済でも、投資しきれない巨額の貯蓄が都市部に流れ出ている。日本の地方と都市部の経済はまるで、アメリカとその他の国の関係と酷似している。長野県もここ十数年の県内総生産の動きをみれば、産業の低迷はより深刻だ。長野県を豊かにするためのお金が、新たな産業や事業を興せないがためにみすみす県外に流出している。
 今回の不況は投資先を創造できないために起こった危機だ。生産的に解釈をするなら、長野県に新たな産業を興すことは時代の要請だと言える。

(2009.12.04)

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