短所を逆手にとった地域おこしのヒント(2009.08.11)

短所は嘆くばかりのものだろうか 

 人も地域おこしにも共通して言えることだが、自分自身や自分の住む地域には短所ばかりと感ずることは多い。特に現在のような不況期にはやたらと短所ばかりが目立ち、ダメだダメだと悲壮感の中をさまようことになる。
 しかし、果たしてそうなのだろうか。短所は嘆くだけのものなのだろうか。
今回は、短所から長所を見出すことの重要性を考えてみたい。こうした発想にこそ、豊かな人生や地域おこしのヒントが隠されている。

暴風の地に風力発電を

 先ずNHKでの番組「プロジェクトX」でも紹介されたこともある有名な話だが、山形県の立川町の事例。
 立川町は最上川から吹きつける猛烈な風に悩まされ続けてきた。奥羽山脈から庄内平野に吹き降ろす「清川だし」は日本三大悪風と言われ、風速毎秒10~20mの台風並の風が野菜や稲穂をなぎ倒し農作物や民家に甚大な影響を与えていた。そのため町は常に貧困を抜け出すことができず、まさに悪魔の風に翻弄される歴史を繰り返してきたのである。
 そうした中、この憎い風を逆手にとってやろうと風プロジェクトが昭和55年に発足した。風力発電を行い、そのエネルギーで温室栽培を行い、余った電力を電力会社に売るという日本初の試みだった。しかし、当時は現在のような強固で高品質な風力発電機はまだなく「清川だし」に吹き飛ばされあえなく頓挫してしまった。
 その後もチャレンジを繰り返したが、3度目のチャンスが訪れたのが昭和63年、「ふるさと創生1億円事業」である。これを元手に「清川だし」に吹き飛ばされない本格的な風力発電設置に取り組んだ。そして、ようやく平成3年、米国から巨大風車3機を輸入し発電に成功した。
現在では、イチゴの温室栽培への電力供給を始め、電力会社への売り上げは年間8千万円に上る。悪魔の風が福音をもたらす風になったのである。

極寒の農村が日本一の高原野菜の産地に

長野県内でも短所を長所に生かし、県内屈指の豊かな村に変身した事例がある。南佐久郡川上村だ。
 川上村は昭和の始めまで冷涼な気候ゆえ稲作ができず、代表的な貧しい寒村であった。島崎藤村もその著書に「信州の中で最も不便な地域であり、白米はただ病人に食べさせる程度しかなく、貧しい荒れた山奥の一つ」(筆者加筆修正)と書いているほどだ。
 ところが、朝鮮戦争の際に日本から国連軍に軍需物資を提供することになり、川上村ではレタスを栽培することになった。稲作にも適さない高冷地という厳しい気候条件がかえってレタス栽培には適していた。標高が高く冷涼な気候はレタスやキャベツといった葉物の栽培に最適であり、年間気温差50度という寒暖の差が美味しさを生むのである。気候条件に恵まれた平地のようにいろいろな選択肢がなく、レタス一本に絞らざるを得なかったことが幸いした。
 戦前、日本ではサラダを食べるという食習慣はなかったが、日本人の食の欧米化の波に乗り、サラダ需要が大きく伸びた。こうした需要を追い風に、村全体が一つの目標に向かって走り続けた結果、今や全国一位のレタス産地となった。
 制約条件は、時に大きな力となるのである。

害獣野生シカを地域の特産に

 最近の長野県内にもさまざまな問題が持ち上がっているが、増えすぎた野生シカによる農林産物の被害もそのひとつである。レタス等の野菜や立木の樹皮、植栽苗木のなどへの食害で農林業への被害額が5億円を越え、座視できない状況になっていた。
 そこで、適正な生息密度に導くための捕獲を実施したが、併せて捕獲したシカを地域資源として有効活用することを検討した。
 結果、「南アルプスの麓、信州遠山郷原産ドッグフード、鹿肉ジャーキー」というペットフードの開発にこぎつけた。人の食用のためには食品衛生法により細かい規制を受けることになり、おまけに人が食べられる部分は体重60~80kgの鹿一頭のうち8kg程度しか取れない。ところが、ペットフードであれば製造上の規制も少なく、原料としては筋、内蔵、アバラ骨などの部位も利用できるためだ。
 今年4月からは地元で道の駅を中心に本格販売を開始しており、毎月40食を出荷し、完売している状況である。
 困ったシカが思わぬ地域活性化のための救世主となる可能性も広がってきた。 

最も重要なことは損失から利益を生み出すこと

 このように悲観論を捨て、冷静になりチエを出せば、短所の裏には必ず長所が隠れていることに気付く。
 世界的なベストセラー「道は開ける」でも著者のデール・カーネギーは、幸福を得る方法として損失から利益を生み出す重要性を述べている。「人生で最も大切なことは利益を活用することではない。それならバカにだってできる。真に重要なことは損失から利益を生み出すことだ。このためには明晰な頭脳が必要となる。ここが分別ある者とバカ者との分かれ道だ」と。
 確かに松下幸之助は体が弱かったからこそ、チエを出し優秀な人を使って事業を成功することができたのだろうし、進化論のダーウィンも病弱だったからこそ膨大な仕事ができたと告白している。つい先頃、最難関といわれる「第13回ヴァン・クライバーン国際ピアノ・コンクール」で日本人初の優勝を果たしたピアニスト辻井伸行さんも、盲目であったがゆえにいっそうすぐれた音楽性を獲得し得たのかもしれない。
 苦しい時や何かを失った時こそ、悲観し落胆するのではなく、大きな成功を手にするチャンスが巡ってきたと前向きに考え、行動すべきなのだ。

 (2009.08.11)


(参考文献)
「道は開ける」D・カーネギー 創元社
『農山村はかくて変わった』藤原忠彦長野県川上村長、中村哲雄葛巻町畜産開発公社顧問「到知」(2009年7月号)到知出版社
『突風平野 風車よ闘え』「プロジェクトX 挑戦者たち」NHK「プロジェクトX」制作班 日本放送出版協会。

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